吉永正人調教師ご逝去2006年09月13日 06時00分00秒

 9月11日の深夜、そろそろ12日になろうかという頃にこのニュースをネットで見つけてびっくり。ご冥福を祈ります。しかし、65歳は若いなあ。
 誰が考えたって、騎手としては何と言ってもミスターシービーということになるんですが、JRAによる調教師としての記録がこちら
 調教師としての管理馬のリストを眺めると、個人的には、ダート短距離で活躍したマルタカトウコウ、芝の1,600m前後で堅実に走っていたカオリジョバンニ、名前が印象的で、ダートでしか勝ったことがないのにいきなり日経賞に出てきたメロンパワーとかが、ああそうだったんだ、と思い出されます。
 あと、個人的備忘録として、サイトいくつか。
 で、吉永正人騎手といえば寺山修司となるんでしょうが、私は、山口 瞳の文章を下に引用しておきます。

 しかしながら、僕は釈然としないのである。立川競輪の時と同じだった。出目で取っても嬉しくない。
 去年の春の天皇賞で、僕はモンテプリンスの単勝を一万円買った。配当は二百円である。たった一万円の儲けであるが、そのときは嬉しかった。春の天皇賞は京都だから、僕は府中競馬場の場内テレビで見ていて、モンテプリンスが四コーナーを過ぎて外から出てきたとき、群衆のなかで、
 「吉永正人!」
 と叫んでしまった。競馬ってそんなもんじゃないのか。(以下略)
(山口 瞳、「草競馬流浪記」、”16 寒風有明海、御見舞旅行”、p.407、新潮文庫ISBN-4-10-111117-0)

 この「草競馬流浪記」には、
僕は寺山修司を追悼する意味においてもミスターシービーの単勝を買うつもりでいたが、(p.469)
なんてフレーズも出てきます。
 そういえば、「居酒屋兆治」のモデルになった、谷保駅前の”文蔵”もこの夏、閉店していたそうで。毎週のように府中競馬場に通っていた時期があったんだから、一度でいいから行っておけばよかった、というのは詮なき話ですね。
 もう一つ驚いたのは、吉永正人騎手がミスターシービーで三冠を達成したとき、42歳だったこと。いまの私と同年齢です。ミスターシービーの三冠レース含め、騎手時代の主なレースのDVD、見たいし欲しいですね。
 改めて、合掌。