シーサイドライン ― 2008年09月27日 13時30分00秒

新杉田から乗車。たぶん、開業年(1989)以来かな?相変わらず金沢八景駅が仮駅状態で変わっていなかったのにはちとびっくり。
画像は市大医学部駅に進入するところ。
(2008年10月1日記)
画像は市大医学部駅に進入するところ。
(2008年10月1日記)
第21回東京湾大華火祭 ― 2008年08月10日 23時30分00秒

K氏のご自宅から。
手品あり、それこそ手品としか思えなかったTeam SENESEの料理あり、で、とても楽しく過ごさせていただきました。
どんな感じだったかはこちらに詳しいです。
K氏ご夫妻をはじめ、全ての皆様に感謝。
2008.08.31に記載。なんか、夏休みの宿題の絵日記を慌てて最後にやってる気分ではあるな。
手品あり、それこそ手品としか思えなかったTeam SENESEの料理あり、で、とても楽しく過ごさせていただきました。
どんな感じだったかはこちらに詳しいです。
K氏ご夫妻をはじめ、全ての皆様に感謝。
2008.08.31に記載。なんか、夏休みの宿題の絵日記を慌てて最後にやってる気分ではあるな。
Artland Japan EXHIBITION ― 2008年05月10日 06時40分00秒
mixiで情報を知ったので、昨夕、Artland Japan EXHIBITIONというのに出かけてきました。
http://www.rashin.net/2008/04/index000004.php
会場は京橋なので、仕事帰りに立ち寄るには便利な場所ではあります。常設の美術館ではない、こういうギャラリーというか展示会場は初めてだったのですが、なかなか面白かったです。会場もたくさんの人でにぎわっておりました。
ちょうど会場に着いたときに、記帳していた人がいたこともあり、なんか気後れして名前は書かずじまいでしたが、帰りがけにその記名帳の一番上のページに、同じ職場の人の名前があったのだけど、本人だったんだろうか?いや、そう珍しくない名前なので、別人かもしれないのですが、いらっしゃっていてもそりゃおかしくない方ではあるので。
肝心の絵については、私は風景画や静物画が好みで、人物画や抽象画は苦手、ということがようやくわかったので(わかるのが遅いという話はあるな)、そういった絵を中心に眺めておりましたが、いくつか、あ、これ好み、というのがありました。
個人的に、絵の下の壁面に鉛筆で値段を書いた付箋紙が貼ってあったのが、何せ画廊のようなところで絵を見るのが初めてだったためか、珍しかったです。小さな絵で、好みで、値段として買えなくはないからちょっと欲しいな、という絵もありましたが、このあと額装しなきゃいけないし、どこに飾るんだ、という問題はあるよなあ。
有楽町へ歩いてワイン買ってから帰宅したのですが、「展覧会で絵を見てきた」と言ったら、カミさんに「熱でもあるのか」、と言われてしまいました。まあ無理もないですが。
http://www.rashin.net/2008/04/index000004.php
会場は京橋なので、仕事帰りに立ち寄るには便利な場所ではあります。常設の美術館ではない、こういうギャラリーというか展示会場は初めてだったのですが、なかなか面白かったです。会場もたくさんの人でにぎわっておりました。
ちょうど会場に着いたときに、記帳していた人がいたこともあり、なんか気後れして名前は書かずじまいでしたが、帰りがけにその記名帳の一番上のページに、同じ職場の人の名前があったのだけど、本人だったんだろうか?いや、そう珍しくない名前なので、別人かもしれないのですが、いらっしゃっていてもそりゃおかしくない方ではあるので。
肝心の絵については、私は風景画や静物画が好みで、人物画や抽象画は苦手、ということがようやくわかったので(わかるのが遅いという話はあるな)、そういった絵を中心に眺めておりましたが、いくつか、あ、これ好み、というのがありました。
個人的に、絵の下の壁面に鉛筆で値段を書いた付箋紙が貼ってあったのが、何せ画廊のようなところで絵を見るのが初めてだったためか、珍しかったです。小さな絵で、好みで、値段として買えなくはないからちょっと欲しいな、という絵もありましたが、このあと額装しなきゃいけないし、どこに飾るんだ、という問題はあるよなあ。
有楽町へ歩いてワイン買ってから帰宅したのですが、「展覧会で絵を見てきた」と言ったら、カミさんに「熱でもあるのか」、と言われてしまいました。まあ無理もないですが。
秋葉原 ― 2006年01月13日 05時26分00秒
草野さんが秋葉原の街について書いているので、便乗して私も少し。と言っても、私も、小学校入学の少し前~大学卒業までを首都圏外で過ごしたので、昭和の時代の秋葉原について詳しいわけでも何でもありませんし、その後もそれほど秋葉原に通っているというわけではないのですが。
たぶん、私が秋葉原で一番最初に行った場所は、物心つくかつかないかの頃に、親に連れられて行った交通博物館でしょう。また、子供向けの図鑑で、秋葉原駅の立体構造の説明図(青果市場や貨物ホームが出ていたような)や、再開発計画(?)みたいなものが出ていたのを記憶しています。
大学に入ってからは、四国の実家から札幌へ戻る前に東京に立ち寄り、ついでに神保町と秋葉原に行く、ということを年に1度くらいやってましたが、最初のうちはたいてい、ラジオデパートかどこかで、真空管を見ていたと思います。大学無線部にあったリニアアンプが、確か30KD6(6KD6の30V版、でよかったっけか)を6本(だったと思う)使った、代々受け継がれていた自作品だったのですが、この予備の真空管があるかどうかを見に来た覚えが。で、値段は忘れたのですが、さすがに秋葉原、ちゃんと在庫があり、大学でその話をすると先輩から「それくらいなら買っとけばよかったのに」と言われた記憶があります。だから、この頃は基本的にパーツ屋を回っていたはずですが、でも、個々の店名で思い出せるのは、秋月通商とかヒロセ無線など、です。
その後、NECのPC-9801が発売されてからはコンピュータ関連のパーツもあわせて見たりしていたはずです。確か”トランジスタ技術”誌か”インターフェース”誌に、8インチ片面単密度のフロッピーディスクドライブを両面倍密度に改造するなんて記事が出て、周囲でそれを実行していた人が何人もいましたが、ジャンク品を秋葉原から札幌まで買って運んでたんじゃないでしょうかね(狸小路の梅澤無線にはあったのかな?)。私も秋葉原のどこかのジャンク屋で8インチドライブを見かけたと思いますが、あんまり自信はありません。
PC関係では、あと、1987年春に、たぶん本多通商で、動いているUNIXマシンを見て、「へえ、これが」と思ったのですが、機種は覚えていないなあ。
1988年より東京で勤務するようになって、その後も大体は東京勤務なのですが、その頃からはパーツ屋どころか秋葉原に行くこともほとんどなくなりました。その後、Macintosh Performa630を買ってからは、ちょくちょくLaoxのMac Storeあたりに足を運ぶようになりましたが、でも、ほとんどは新宿のヨドバシカメラやT-ZONEあたりで用が足りていたようにも思います。
いまは、CD/DVDなどのソフト目当てにぶらりと行くか、はっきり目的があって、家電などを買いに行くか、ですね。子連れで交通博物館、というのもやりましたし、秋葉原に行く回数自体は以前よりは増えています。
やはり個人的には、交通博物館がさいたま市に移転する、という事実が、秋葉原の変化としては大きな話に感じます。旧万世橋駅構内の公開とあわせて、移転前になんとか出かけたいのですが。
ちなみに年末、中央通りを歩いていたら、「電撃ショックプライス!」とかいうテープの音声とともに、販売されていたのがスタンガンだった、という店を見かけました。その手の怪しさが秋葉原らしさ、という気もします。
たぶん、私が秋葉原で一番最初に行った場所は、物心つくかつかないかの頃に、親に連れられて行った交通博物館でしょう。また、子供向けの図鑑で、秋葉原駅の立体構造の説明図(青果市場や貨物ホームが出ていたような)や、再開発計画(?)みたいなものが出ていたのを記憶しています。
大学に入ってからは、四国の実家から札幌へ戻る前に東京に立ち寄り、ついでに神保町と秋葉原に行く、ということを年に1度くらいやってましたが、最初のうちはたいてい、ラジオデパートかどこかで、真空管を見ていたと思います。大学無線部にあったリニアアンプが、確か30KD6(6KD6の30V版、でよかったっけか)を6本(だったと思う)使った、代々受け継がれていた自作品だったのですが、この予備の真空管があるかどうかを見に来た覚えが。で、値段は忘れたのですが、さすがに秋葉原、ちゃんと在庫があり、大学でその話をすると先輩から「それくらいなら買っとけばよかったのに」と言われた記憶があります。だから、この頃は基本的にパーツ屋を回っていたはずですが、でも、個々の店名で思い出せるのは、秋月通商とかヒロセ無線など、です。
その後、NECのPC-9801が発売されてからはコンピュータ関連のパーツもあわせて見たりしていたはずです。確か”トランジスタ技術”誌か”インターフェース”誌に、8インチ片面単密度のフロッピーディスクドライブを両面倍密度に改造するなんて記事が出て、周囲でそれを実行していた人が何人もいましたが、ジャンク品を秋葉原から札幌まで買って運んでたんじゃないでしょうかね(狸小路の梅澤無線にはあったのかな?)。私も秋葉原のどこかのジャンク屋で8インチドライブを見かけたと思いますが、あんまり自信はありません。
PC関係では、あと、1987年春に、たぶん本多通商で、動いているUNIXマシンを見て、「へえ、これが」と思ったのですが、機種は覚えていないなあ。
1988年より東京で勤務するようになって、その後も大体は東京勤務なのですが、その頃からはパーツ屋どころか秋葉原に行くこともほとんどなくなりました。その後、Macintosh Performa630を買ってからは、ちょくちょくLaoxのMac Storeあたりに足を運ぶようになりましたが、でも、ほとんどは新宿のヨドバシカメラやT-ZONEあたりで用が足りていたようにも思います。
いまは、CD/DVDなどのソフト目当てにぶらりと行くか、はっきり目的があって、家電などを買いに行くか、ですね。子連れで交通博物館、というのもやりましたし、秋葉原に行く回数自体は以前よりは増えています。
やはり個人的には、交通博物館がさいたま市に移転する、という事実が、秋葉原の変化としては大きな話に感じます。旧万世橋駅構内の公開とあわせて、移転前になんとか出かけたいのですが。
ちなみに年末、中央通りを歩いていたら、「電撃ショックプライス!」とかいうテープの音声とともに、販売されていたのがスタンガンだった、という店を見かけました。その手の怪しさが秋葉原らしさ、という気もします。
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