ギャロップダイナ ― 2006年05月04日 05時10分00秒
ギャロップダイナが2006年2月2日に老衰で死亡していたそうです。ご冥福を祈りたいと思います。
それを私は、いつも読んでいる昨日の風はどんなのだっけ?の2/23付で知って驚いたのですが、4/28付けでこんな記事が。
昭和は遠くなりにけり……
ギャロップダイナの死亡記事、触れている人少ないなあ。
大好きな馬ですし、ちょっと書いてみましょう。
・現役時代
実のところ、ギャロップダイナの現役時代は、それほど競馬に関心があったわけではないので、特段の話を知っているわけではなく、競馬場で見たこともありません。やはり一般的には、時系列で並べると、1985年札幌日経賞でのカラ馬1着、シンボリルドルフを差し切った秋の天皇賞(1985年)、ダイナガリバーの2着に突っ込んだ引退レースの有馬記念(1986年)が有名なんでしょうね。
もう時効だからいいでしょうが、その札幌日経賞でギャロップダイナから馬券を買っていたサークルの先輩がいます。ゲートが開くなり馬券が終わってしまったわけですが、よりによって目の前(札幌競馬場)で見ていたので、そりゃあショック大きかったことでしょう。
以下は、出版物などでのギャロップダイナの話、ということになりますが、札幌日経賞の映像自体は、確か、手持ちのビデオにあったな、と思い、「井崎脩五郎の競馬傑作集(1992年日本コロンビア)」を引っ張り出して見直しました(レースの収録自体はダイジェスト)。井崎センセがレース振りを褒めているとおり、まあ見事なレース振りですね。井崎センセは「後でビデオテープ見て、落ちた騎手は恥ずかしがったかもしんない、こんなレース自分が乗っててもできたろうか、なんて」という趣旨のコメントしてますが、振り落とされたのが東信二騎手ですから、何の因果か、お二方はいま、フジテレビの”スーパー競馬”でご一緒に仕事されてますね。なお、上記ビデオにはギャロップダイナ関係では天皇賞も収録されてます。
また、手持ちの書籍では、別冊宝島の競馬読本シリーズや、よしだみほの「馬なり1ハロン劇場」などでもギャロップダイナが出てますね(よしだみほの場合、文庫にもギャロップダイナの話を書いたものがあったはず)。高橋直子(現・谷川直子)の「競馬の国のアリス」にも、ギャロップダイナの話が出てきます。
それから、私にとっては「あっと驚く」と言えば「ギャロップダイナ」です。
・種牡馬時代
確か2回、社台スタリオンステーション荻伏で見学させていただきました。最初が1992年7月14日で、もう1回はその1年か2年後のはず。初回の日付が妙にはっきりしているのは、私としてはまずまずよく撮れた写真があり、これを少し大きめにして写真立てに入れているからなのですが。このときは、腕を軽く噛まれて、「遊ぼうよ」という感じでじゃれつかれた覚えがあります。2回目はあんまり愛想が良くなかったからか、そんなに記憶はありません。
この初回訪問時は、牧場の方とマルマツエースの話をしたかな。ちなみにマルマツエースは、この牧場訪問の直前、安田富男騎手の「中央競馬全10場重賞制覇」がかかっていた札幌記念で1番人気9着でした(勝馬忘れていたので調べてみたら、優勝はサンエイサンキュー)。
なお、最初に行ったとき、社台スタリオンステーション荻伏には、他に3頭繋養されていて、確か、スピークリーズン(1989年京成杯(GIII)、1989年函館記念(GIII))やダイナオリンピアが一緒にいたはず。あとは、スクラムダイナだったかな?後の2頭は本当にそうだったか、記憶が怪しいのですが。
話を戻すと、ギャロップダイナの代表産駒としては、よくいわれるのがマルマツエース(1992年エプソムC(GIII))やオースミダイナー(2000年北海道スプリントカップ(GIII))ですが、付け加えると、中央ではマルシゲギャロップ(1996年カブトヤマ記念(GIII)2着)や、地方ではデルマキングオー(中央→高崎、道営、2000年、2001年高崎大賞典など)や、マウントギャロップ(1995年上山3歳優駿)でしょうか。
産駒で忘れてはいけないのが、マイネマジック(1994年優駿牝馬(GI)5着、クイーンS(GIII)3着、スイートピーS(OP)2着、3勝)で、つまり、ギャロップダイナは、マイネソーサリス(2005年愛知杯(GIII)、2005年ターコイズS(OP)、現役)の母の父、ということになります。
それを私は、いつも読んでいる昨日の風はどんなのだっけ?の2/23付で知って驚いたのですが、4/28付けでこんな記事が。
昭和は遠くなりにけり……
ギャロップダイナの死亡記事、触れている人少ないなあ。
大好きな馬ですし、ちょっと書いてみましょう。
・現役時代
実のところ、ギャロップダイナの現役時代は、それほど競馬に関心があったわけではないので、特段の話を知っているわけではなく、競馬場で見たこともありません。やはり一般的には、時系列で並べると、1985年札幌日経賞でのカラ馬1着、シンボリルドルフを差し切った秋の天皇賞(1985年)、ダイナガリバーの2着に突っ込んだ引退レースの有馬記念(1986年)が有名なんでしょうね。
もう時効だからいいでしょうが、その札幌日経賞でギャロップダイナから馬券を買っていたサークルの先輩がいます。ゲートが開くなり馬券が終わってしまったわけですが、よりによって目の前(札幌競馬場)で見ていたので、そりゃあショック大きかったことでしょう。
以下は、出版物などでのギャロップダイナの話、ということになりますが、札幌日経賞の映像自体は、確か、手持ちのビデオにあったな、と思い、「井崎脩五郎の競馬傑作集(1992年日本コロンビア)」を引っ張り出して見直しました(レースの収録自体はダイジェスト)。井崎センセがレース振りを褒めているとおり、まあ見事なレース振りですね。井崎センセは「後でビデオテープ見て、落ちた騎手は恥ずかしがったかもしんない、こんなレース自分が乗っててもできたろうか、なんて」という趣旨のコメントしてますが、振り落とされたのが東信二騎手ですから、何の因果か、お二方はいま、フジテレビの”スーパー競馬”でご一緒に仕事されてますね。なお、上記ビデオにはギャロップダイナ関係では天皇賞も収録されてます。
また、手持ちの書籍では、別冊宝島の競馬読本シリーズや、よしだみほの「馬なり1ハロン劇場」などでもギャロップダイナが出てますね(よしだみほの場合、文庫にもギャロップダイナの話を書いたものがあったはず)。高橋直子(現・谷川直子)の「競馬の国のアリス」にも、ギャロップダイナの話が出てきます。
それから、私にとっては「あっと驚く」と言えば「ギャロップダイナ」です。
・種牡馬時代
確か2回、社台スタリオンステーション荻伏で見学させていただきました。最初が1992年7月14日で、もう1回はその1年か2年後のはず。初回の日付が妙にはっきりしているのは、私としてはまずまずよく撮れた写真があり、これを少し大きめにして写真立てに入れているからなのですが。このときは、腕を軽く噛まれて、「遊ぼうよ」という感じでじゃれつかれた覚えがあります。2回目はあんまり愛想が良くなかったからか、そんなに記憶はありません。
この初回訪問時は、牧場の方とマルマツエースの話をしたかな。ちなみにマルマツエースは、この牧場訪問の直前、安田富男騎手の「中央競馬全10場重賞制覇」がかかっていた札幌記念で1番人気9着でした(勝馬忘れていたので調べてみたら、優勝はサンエイサンキュー)。
なお、最初に行ったとき、社台スタリオンステーション荻伏には、他に3頭繋養されていて、確か、スピークリーズン(1989年京成杯(GIII)、1989年函館記念(GIII))やダイナオリンピアが一緒にいたはず。あとは、スクラムダイナだったかな?後の2頭は本当にそうだったか、記憶が怪しいのですが。
話を戻すと、ギャロップダイナの代表産駒としては、よくいわれるのがマルマツエース(1992年エプソムC(GIII))やオースミダイナー(2000年北海道スプリントカップ(GIII))ですが、付け加えると、中央ではマルシゲギャロップ(1996年カブトヤマ記念(GIII)2着)や、地方ではデルマキングオー(中央→高崎、道営、2000年、2001年高崎大賞典など)や、マウントギャロップ(1995年上山3歳優駿)でしょうか。
産駒で忘れてはいけないのが、マイネマジック(1994年優駿牝馬(GI)5着、クイーンS(GIII)3着、スイートピーS(OP)2着、3勝)で、つまり、ギャロップダイナは、マイネソーサリス(2005年愛知杯(GIII)、2005年ターコイズS(OP)、現役)の母の父、ということになります。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://suzuki.asablo.jp/blog/2006/05/04/352139/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
_ suzuki's blog - 2006年05月04日 05時20分47秒
ギャロップダイナの話で思い出した、カラ馬1着の話を。
カラ馬で1着ゴールイン、というのは、確かにない話じゃないなあ、と思い、記憶を探ってみたのですが、このときの思考回
カラ馬で1着ゴールイン、というのは、確かにない話じゃないなあ、と思い、記憶を探ってみたのですが、このときの思考回
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。