秋葉原2006年01月13日 05時26分00秒

 草野さんが秋葉原の街について書いているので、便乗して私も少し。と言っても、私も、小学校入学の少し前~大学卒業までを首都圏外で過ごしたので、昭和の時代の秋葉原について詳しいわけでも何でもありませんし、その後もそれほど秋葉原に通っているというわけではないのですが。
 たぶん、私が秋葉原で一番最初に行った場所は、物心つくかつかないかの頃に、親に連れられて行った交通博物館でしょう。また、子供向けの図鑑で、秋葉原駅の立体構造の説明図(青果市場や貨物ホームが出ていたような)や、再開発計画(?)みたいなものが出ていたのを記憶しています。
 大学に入ってからは、四国の実家から札幌へ戻る前に東京に立ち寄り、ついでに神保町と秋葉原に行く、ということを年に1度くらいやってましたが、最初のうちはたいてい、ラジオデパートかどこかで、真空管を見ていたと思います。大学無線部にあったリニアアンプが、確か30KD6(6KD6の30V版、でよかったっけか)を6本(だったと思う)使った、代々受け継がれていた自作品だったのですが、この予備の真空管があるかどうかを見に来た覚えが。で、値段は忘れたのですが、さすがに秋葉原、ちゃんと在庫があり、大学でその話をすると先輩から「それくらいなら買っとけばよかったのに」と言われた記憶があります。だから、この頃は基本的にパーツ屋を回っていたはずですが、でも、個々の店名で思い出せるのは、秋月通商とかヒロセ無線など、です。
 その後、NECのPC-9801が発売されてからはコンピュータ関連のパーツもあわせて見たりしていたはずです。確か”トランジスタ技術”誌か”インターフェース”誌に、8インチ片面単密度のフロッピーディスクドライブを両面倍密度に改造するなんて記事が出て、周囲でそれを実行していた人が何人もいましたが、ジャンク品を秋葉原から札幌まで買って運んでたんじゃないでしょうかね(狸小路の梅澤無線にはあったのかな?)。私も秋葉原のどこかのジャンク屋で8インチドライブを見かけたと思いますが、あんまり自信はありません。
 PC関係では、あと、1987年春に、たぶん本多通商で、動いているUNIXマシンを見て、「へえ、これが」と思ったのですが、機種は覚えていないなあ。
 1988年より東京で勤務するようになって、その後も大体は東京勤務なのですが、その頃からはパーツ屋どころか秋葉原に行くこともほとんどなくなりました。その後、Macintosh Performa630を買ってからは、ちょくちょくLaoxのMac Storeあたりに足を運ぶようになりましたが、でも、ほとんどは新宿のヨドバシカメラやT-ZONEあたりで用が足りていたようにも思います。
 いまは、CD/DVDなどのソフト目当てにぶらりと行くか、はっきり目的があって、家電などを買いに行くか、ですね。子連れで交通博物館、というのもやりましたし、秋葉原に行く回数自体は以前よりは増えています。
 やはり個人的には、交通博物館がさいたま市に移転する、という事実が、秋葉原の変化としては大きな話に感じます。旧万世橋駅構内の公開とあわせて、移転前になんとか出かけたいのですが。

 ちなみに年末、中央通りを歩いていたら、「電撃ショックプライス!」とかいうテープの音声とともに、販売されていたのがスタンガンだった、という店を見かけました。その手の怪しさが秋葉原らしさ、という気もします。